都内の読書会

 先週末、都内でサーバントリーダーの読書会が開催されました。いつもあっという間の2時間です。
 参加者の皆さんの意見やファシリティーターのアドバイスはとても参考になります。いつもいつも多くの刺激をもらって帰ってきます。

 サーバントリーダーの著者ロバートグリーンリーフが彼を「偉人の生き方」と称したドナルド・ジョン・カウリングの偉大な生涯を改めて紐解いてみました。

 「偉大」なんて自分で決められるものではないですね。「俺の人生って偉大だったな」なんて自分で評価することも出来ません。歴史に残る重大事(その行動が後の社会を変えるような出来事)を成し遂げた人物であるかどうかによって他人(社会)が称賛するものです。したがってその人物が晩年を過ぎ、死去した後に語られることが多いようです。

 私たちも少なからずこの“称賛される人生”を求めて生きているのですが…

 このカウリングの偉人と評価される出来事の主は、アメリカ合衆国ミネソタ州ノースフイルドにある私立大学カールトンカレッジ(Carleton College)の創生(立て直し)に彼が人生を捧げたことにあります。

 1909年から1945年の36年間この大学の学長を務め、古い建物で、苦境にあえぐ特定宗派の教育機関をリベラル・アーツ教育を基礎とする小規模な大学のモデルにしようと改革に取り組んだのです。そして、それは後の二人の後継者(グレート博士とネイソン博士)によって見事に成し遂げられたのです。

 更に、100年という長い歳月を超えて、この大学はリベラル・アーツ教育機関として常に全米トップ10を維持し、2013年同大学の教授らは「最も教育熱心」という点で全米トップに掲げられたのです。まさしく大学の立て直しと言うよりも“ビジョナリーカンパニー”を作り上げた偉大な起業家(経営者ではない)ではなかったのではないでしょうか。

 彼はこの大学を数千人規模の大学院を併設した大規模な大学へと変貌しようとは考えていませんでした。経営が苦しければ一般的に多くの学生を入学させ教育コストを下げて経営の改善にあたるはずです。彼はそれと全く逆の手法(最も困難な方法)を取ったのです。4年生の大学とし大学院を持たず、教授は学部学生の教育に専念、全寮制少人数教育(当時は全寮制であったかは不明)を主体とし、学生の生活のほとんどがキャンパス内で完結できるような仕組みを構築したのです。

 更に、基礎的な教養(独立した人間が持つべき知識・常識・品位・人格・理解力・創造力等)を磨くと共にモノの考え方を養う事に重点を置いのです。そして、その信念(これからの社会を変えていくであろう若者たちに対する真の教育と教育現場の在り方)を多くの場面で多くの人々に説いていきました。正しい考え方、正しい行動は世の中を変えると信じて…正しく“至誠”ですね。ヘシェルとカウリングの共通点でもあるのです。グリンリーフの言葉を借りれば“魂の共感”なのでしょう。

 学長時代の36年間の感動のエピソードは多々あるのですが、私が経営者として最も感銘を受けたのが彼の教育に対する理念です。

●従来のリベラル・アーツを基礎とするカリキュラム
●キリスト教的な雰囲気で施される共育
●優秀な教員陣はこの2つの理念に従事すること。彼らには、自身が心に抱く真実を支持する自由、自身の知 識を最大限に活かして教育する自由が与えられる。
●魅力ある施設、環境の中で、教員と学生の両者が互いに切磋琢磨すること。

 この教育理念を皆さんの会社の教育理念に置き換えて考えてみてはどうでしょうか?

 決して宗教的な教育を試みてはと言っている訳ではありません。企業における教育とは一体何かを改めて考えるという事です。これは戦後における教育の在り方、社会の在り方まで遡る必要があるのですが、文中では「成熟した才能」と表現した一節がありますが、成熟した人間として社会に出るのか、社会に出て成熟していくのか。社会の目は社会に出た人間を「この人間はまだ未成熟だから」と寛大に見るのか、「社会人なのだからこの位でなければ」と世間一般の物差しで評価するのか、若者に対してどのような評価を下すのだろうか社会という視点で考えてみてください。

 もし未熟(基礎的な素養を持ち合わせていない人間)のまま社会人となった人間が企業で“生きる術”だけを教育されていったならば将来の社会はどうなっていくのでしょうかか。生きる術に長けた人間の集合体はどんな社会を作っていくのだろう…。

 改めて、サーバントリーダーとは社会で生きていくための“術”ではない。サーバントリーダーの考え方を導入したから生産性が上がるとか、組織運営が円滑になるとかではない(もちろん結果としての功績は高いがそれが目的ではない)。

 サーバントリーダーの考え方の浸透はあのカウリングが唱えた教育理念の浸透に他ならない。リベラル・アーツ教育とは人間としての“生きる目的”の学びである。「キリスト教的な雰囲気」とは宗教を越え、時代を越えてもなお揺るぎない基本的価値観、価値基準を持った組織(共同体)を作ることにある。自由とは“善のなす規律の文化”の構築である。そして、切磋琢磨とは永遠なる企業の存在意義の追求である。

 過酷な歴史と多くの犠牲を払ってきた1900年代、将来を担う未来の若者たちをどの様に育てていくか、カウリングの学長としての責任感、そして彼の指導者としてのストイック性、カールトン大学の礼拝堂はカウリングの拠り所であると共に、そのシンボルだったのだろう…。
by dokyu-nakanishi | 2014-12-15 12:58 | 日々想う事(感性を磨け)


中西 泰司
(なかにし たいじ)

株式会社どうきゆう社長。自転車レースチームの総監督でもある。

実践で培った経営・人材セミナーは社の内外を問わず人気。


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