背中を押してもらう存在とは…

アブラハム・ヨシュア・ヘシェル(Abraham Joshua Heschel)の人物について調べてみました。

 実は『人間を探し求める神 ― ユダヤ教の哲学』(1999年、教文館)この本の内容がとても気になったからです。ヘシェルはナチスによるユダヤ人虐殺の経験を生き抜いてきた人物です。この頃には「夜と霧」の著者でもあるフランクルも同世代に生き強制収容所の生活の中から精神分析医としての「生きる意味」を説いています。

 ヘシェルは「人間を捜し求める神」の中で「人とは善であることで神に近づく、聖であることで神が人に近づく」と神と人間の関係を表しています。この世の中、人間は神を探すのを止めてしまっている。神は見えないのではなく神を探していない。」とも言っています。

 何か“神”と言うと宗教的な雰囲気がありますが、これを「大いなる力」と訳せば、人間にとって大いなる力は必要不可欠な気がします。“背中を押してくれる存在”はどんな時も有り難いものです。神風であったり、偶然であったり、奇跡と言う言葉であったり、自分の持っている能力をはるかに超えた「大いなる力」の存在は誰しも感じたことがあるでしょう。

 人間が大いなる力を知るには、大いなる力に知られる様な生き方をしなければならない。知られるにふさわしい生き方がある。そして大いなる力は使われてこそ、その存在や力が発揮できる。大いなる力そのものは存在を知り、使われることを願っている。

 私の都合の良い解釈で申し訳ありません。

 でも“背中を押してくれる存在”であれば、これは人生の中で使うべきですよね。使いたいですよね。大いなる力はそれを願っているのですから…

 なので…私なりに大いなる力との出会いの方法を見出しました。

 神学者のヘシェルの言葉を借りれば大いなる力とは与えるばかりの存在で見返りを求めない、ひたすら与え続ける存在なのです。その存在と共鳴しようと思えば自らも与える存在に近づかなければなりません。「誰かのために、誰かの喜びのために」という生き方をして初めて大いなる力に近づくのです。メルヘンチックですがそうすることで大いなる力はあなたの存在を認識します。(ユダヤ教の哲学では“神の側に来る(Come on the side of God)”と表現していると思うのですが)

 あなたの生き方を見て大いなる力は、あなたの存在を認識しました。では今度は大いなる力にその力を発揮してもらわらなければなりません。それをどのようにすれば大いなる力はあなたの背中を押してくれるのでしょう。

 これもまたヘシェルの言葉を引用すれば、「行動の目的が善であり、聖なる行動(不条理を超えた行動)であるかどうか」難しいですね。要は自己保存のための欠乏動機(自分のための行動)なのか、世の中を良くするための成長動機(誰かのための行動)なのかの違いの様な気がします。

 自分のために他人に奉仕する(自分の利のために他人に利を与える偽善者)ではなく見返りを求めず、他者のために生きるという善の生き方を実現する行動に大いなる力は発揮されるのだと思います。

 ヘシェルの生涯は身と生活を張る武道派のような行動でした。「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり。」戦国、明治と日本の世の中を変えて行った変革の覇者達。全ての不条理を、全ての不満を、全ての失望をなくすために社会を変革する役割が我々にはある。と明言し米国を変えていったヘシェル、国や時代は違えどもそこには「魂の共感」が存在する。そんな強さを感じる人物でした。
by dokyu-nakanishi | 2014-12-10 10:11 | 日々想う事(感性を磨け)


中西 泰司
(なかにし たいじ)

株式会社どうきゆう社長。自転車レースチームの総監督でもある。

実践で培った経営・人材セミナーは社の内外を問わず人気。


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