沖縄県ひめゆり学徒

沖縄視察報告

沖縄県知事 仲井眞 弘多さんの一言を聞いて行ってみたくなった沖縄県、初めてではなく

自分にとって確かめたい事があったから・・・事実を知りたかった、事実を共有したかった。そんな思いで前回とは全く違ったフイルターで沖縄県を訪れました。

沖縄県の南、糸満市字伊原に設立された「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れました。今回のルートは伊原第三外科壕・糸数アブチラガマ・南風原陸軍病院二十号壕へと当時の戦火の中、刻々と変わる主戦場を逆ルートで回ってきました。

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「ひめゆり」の愛称で親しまれていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校・学園が次第に軍事化され、軍は女子生徒を看護要員として訓練する方針を決し、1944年11月下旬から看護教育が開始されます。そして1945年3月23日、米軍が沖縄に上陸を開始した深夜、生徒222名、引率教師18名が南風原陸軍病院へと動員されていくのです。

戦火は悪化し沖縄守備軍が壊滅状態に陥り、6月18日ついに解散命令が発せられ、90日間という長い戦いの後に彼女らが待ち受けていたのは「死の彷徨」と言われる行き場の無い局地でした。追い込まれた学徒は傷ついた学友を助けて歩いていく者、ガス弾攻撃を受けるも者、手榴弾を胸にあて爆発させる者、海岸で大波にのまれる者など行き場を失い、父母の名を呼びながら死んでいく生徒が続出していきます。教師12名、生徒123名が犠牲となりました。

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年頃のごく普通の明るい青春を夢見たひめゆり学徒。「戦争と教育」の中で軍国少女として教育されていく。それでも歌と笑いが耐えなかった乙女達。この壮絶な沖縄の戦いの現実を私たちは認識し、次世代の平和へ、未来へ語り合っていかなければ・・・・。

沖縄戦は一般市民を巻き込んだ、日本では未曾有の地上戦です。90日にわたる戦闘で沖縄県民の4人に1人が亡くなっています。沖縄での戦いでは両軍合わせて20万人、(日本側188136名、本土出身軍人65908名、沖縄県出身12228名)が亡くなりました。沖縄全県下の学徒のうち男子1489名、女子414名、教師103名、計2006名が戦場で尊い命を失っています。

「日本国を本土を守りたい」その純粋な気持ちで尊い命を、青春を投げ打って戦ってくれた沖縄県人の皆さん、その想いがあって今の平和な私たちが存在しているのではないでしょうか、マリンスポーツ、美ら海水族館、観光、スポーツとしてもとても美しい島です。

私も大好きな場所です。今回は島民の方にもお世話になりました。沢山のお話を聞く事ができました。涙で伝えられた事実も沢山ありました。重くそして大いなる責任と平和への義務を感じてきました。本当にありがとうございました。改めて御礼申し上げます。

                 参考著書:ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック

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<視察された子供達の寄せ書き>
by dokyu-nakanishi | 2011-01-26 01:01 | 日々想う事(感性を磨け)


中西 泰司
(なかにし たいじ)

株式会社どうきゆう社長。自転車レースチームの総監督でもある。

実践で培った経営・人材セミナーは社の内外を問わず人気。


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