久々の更新に応援メールが沢山届きました。

サーバーの調子が悪く中々更新タイミングがとれません。ごめんなさい。久々に更新したら沢山の方からメールを頂きました。有難うございます。今、2月のセミナーの資料を作っています。時間がある時にコツコツと作ってノートに貯めておきます。まぁ私の知識の箪笥みたいなものです。

 その中から・・・吉田松陰の話を少ししましょう。

 1830年、長州藩士、杉百合之助の次男として生まれ、1859年安政の大獄により斬首刑に処され29歳の若さで生涯を終えた人物ですが私の大好きな歴史的人物です。

文之進の開いた私塾で学問に励み作間象山に師事し、日本全国を廻り多くの人と触れ合うことで見聞を広め松下村塾を開校、多くの維新志士を育成し明治維新の思想の原点でもあり長州藩躍進の原動力となった思想家であり教育者でもあります。

 私がこの人物を知ったのは“死生観”をどのような形で表す事ができれば社員が“人生の最後の瞬間に何を求めるのか、生きてきた痕跡を何に残すのか、そのために今をどのように生きなければならないのか、根源的な生き様に対する思考の扉をどのように開けるか、”その難問の答えを求めたときに出会った人物です。

 吉田松陰が書かれた「留魂録」に出会ったのは衝撃的でした。その現物を見に山口県萩市まで足を伸ばしました。松下村塾に訪れました。(松蔭そばも食べました・・余談です。)吉田松陰が学んだ場所、時空を越えてその空間を共有したい。切実に想い行動しました。それほどまでに私を掻き立てた「留魂録」は、吉田松陰が処刑される直前に松下村塾門下生たちに向けて書いた遺言書です。その名の通り「魂の遺書」。牢獄の中から、愛弟子たちへ切々と最後の訓戒を訴え、また、死に直面した松陰が悟り得た死生観を書き記したその内容は、格調高く、人間としての矜持に満ちており、読む者の胸を打たずにおかない内容です。正しく死生観を論じた書です。

 事実、「留魂録」は、それを読んだ長州藩志士達のバイブルとなり、「松陰の死」自体とともに、明治維新へと突き進む原動力の一つとなりました。松陰が、明治維新の事実上の精神的理論者とされる由縁なのです。

 この「留魂録」についても私が経営や人生の英知となる様に解釈したものは、今後お伝えしていきますが、今回は「至誠にして動かざるは未だ之あらざる也」ではじまる「至誠の修行」という松蔭が処刑される年(安政6年・1859年)に書かれたものを紹介します。

 【至誠の修行】

 至誠にして動かざるは未だ之あらざる也。

 この語高大無辺な聖訓なれど、

 吾未だ之を信ずる能わざる也。

 この度この語の修行 仕る積也。

 この事別に一書を作るなれども暇はなくは

 子遠和作へ御通じ下さる可く候。

 門下の志士、小田村伊之助に送った書の一文です。この手紙の一文の後には余り紹介されていませんが「吾れ学問二十年、齢また而立なり、然れども未だこの一語を解する能はず。今茲に関左の行、願はくは身を似て之を験さん・・・・」と綴っています。

 もう一度この言葉について更に追求し、修行をするつもりでいる。と書かれています。この上もないまごころを尽くして動かし得ないものは、いまだかつてなかった。この言葉は果てしなく高く大きい聖人の教えではあるが、自分はいまだにこれを理解し信ずることができない。至誠を尽くせば自分の思いが届かぬはずはない、未だ修行が足りないのでは、再度身をもって修行にあたる。と通釈しています。

「経営も人生も全力を尽くせば必ず次の扉が開く、事に対して全力で取り組めば自分がやるべきこと、次なる全力を尽くすべき所が必ず見えてくる。それが見えてこないときは目の前の事に全力で当たっていない証拠である。再度身をもって全力であたるべし。次なる道が開ける」私は経営学の中で自分なりにこのように解釈をしています。

 経営とは命を懸けて行うもの、全ての感覚を研ぎ澄まし、全霊を尽くして事にあたるもの。その実践があって未来が存在する。いや自分が理想とする未来があるからこそそこに命を懸けた挑戦ができる。それゆえに全ての力を注ぐ(全力)ことが必要なのだと・・・

 そして、この事を門下生の「野村和作」に伝えてもらいたいと締めくくっています。

その後、松蔭は江戸の伝馬町で斬首刑になりますが、松下村塾の塾生であった野村和作は後に維新後の明治政府にて活躍し岩倉視一に随って欧米を視察し、内務大臣、逓信大臣を歴任し近代国家への布石を作っていきます。

 「留魂録」の一節に「私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。」と記されています。野村和作の活躍は松蔭の死後のことです。松蔭の教えは単なる籾殻なのか、成熟した栗の実となったのでしょうか、

 経営とは従業員の生きる道そのもの。しかし、自分の死後は知るすべはない。今、自分が抱く思想哲学(理念)は従業員にとって栗の実が宿る樹でなければならないと節に感じます。

 松蔭はこのような言葉を数多く残され門下生へとその思想を伝えていきました。この「至誠」を論じるとしたらまだまだ不足です。その奥深さが松蔭の魅力でもあるのです。私の大好きな歴史的人物です。松蔭の話をすると尽きる事はありません。

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応接室に掛けた掛軸です。萩に行った時に購入したものです。台紙は札幌で作成しました。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-06 02:01 | 日々想う事(感性を磨け)


中西 泰司
(なかにし たいじ)

株式会社どうきゆう社長。自転車レースチームの総監督でもある。

実践で培った経営・人材セミナーは社の内外を問わず人気。


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