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シェアリングシート

私の会社には「シェアリングシート」というコミュニケーションツールがあります。

“クレド・サービスバリュー12”という接客ルールの実践に対して社内でその情報を共有しようという手法に使われています。各店舗から本社へ送られ各事業部の担当者を経て私の所に届けられます。

 今日は43通のシートが手元に届けられました。出張で不在の時などは100枚を超えることもあります。私は毎朝、一枚づつ心を込めて読んでいきます。地方の店でこんな事がありました。

「あるご婦人が来店された時です。そのご婦人がご主人が美味しい、美味しいといってこの店で食事をしたことが懐かしくって・・・」そのご主人は昨年亡くなったそうです。何かその事を思い出してお店に来ていただいたようです。

そんなお客様と従業員の会話が私のところへと届けられます。

 札幌のある店では、よく料理の写真を取る風景を見ますが、「赤ちゃんが出来るのでご夫婦でこれから中々食べに来る事が出来なくなる、だから記念に写真を取るんです。」

従業員とお客様の会話です。

 今の時代、生産性・生産性と早く、正確に仕事をする事を重んじられますが、私たちは一人ひとりのお客様をとても大切にしています。外で食事をされる方は必ず理由があります。「ただお腹を満たすため」だけではありません。もちろんお腹の満足も大切な要因ですが、それ以上に食事を通じて心の満足が大切です。

 もちろんお店にはマニュアルがあります。でも、マニュアルは最低限これだけはやってくださいという企業のボーダーラインです。もちろんそのラインを日々上げていく努力を重ねていきますが、そのモノサシで「出来ている、出来ていない」で評価や指導をしていけば従業員やアルバイトの皆さんは“働くという目的”を見失ってしまいます。

 お客様との会話やお客様との感動の共有はこの“働くという目的”を理解しなければ「本音の部分の接客」は出来ません。

“働く”ということをただ、お金のためとか生活のためとかで多くの時間を費やするのは寂しくありませんか、折角もらった人生の大切な時間、その時間を費やしているのですから“誰かのために”働けるような有意義な時間を過し、“ありがとう”そう言っていただき、その言葉に“あ〜よかった”と素直に思えるような、そんな至高体験を積み重ねていく事こそが、早く自分の人生観を見つけられることですね。

 当社ではそんな想いを社員やアルバイトの皆さんが「シェアリングシート」を活用して情報の共有を図っています。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-27 00:01 | 日々想う事(感性を磨け)

シェアリングシート

私の会社には「シェアリングシート」というコミュニケーションツールがあります。

“クレド・サービスバリュー12”という接客ルールの実践に対して社内でその情報を共有しようという手法に使われています。各店舗から本社へ送られ各事業部の担当者を経て私の所に届けられます。

 今日は43通のシートが手元に届けられました。出張で不在の時などは100枚を超えることもあります。私は毎朝、一枚づつ心を込めて読んでいきます。地方の店でこんな事がありました。

「あるご婦人が来店された時です。そのご婦人がご主人が美味しい、美味しいといってこの店で食事をしたことが懐かしくって・・・」そのご主人は昨年亡くなったそうです。何かその事を思い出してお店に来ていただいたようです。

そんなお客様と従業員の会話が私のところへと届けられます。

 札幌のある店では、よく料理の写真を取る風景を見ますが、「赤ちゃんが出来るのでご夫婦でこれから中々食べに来る事が出来なくなる、だから記念に写真を取るんです。」

従業員とお客様の会話です。

 今の時代、生産性・生産性と早く、正確に仕事をする事を重んじられますが、私たちは一人ひとりのお客様をとても大切にしています。外で食事をされる方は必ず理由があります。「ただお腹を満たすため」だけではありません。もちろんお腹の満足も大切な要因ですが、それ以上に食事を通じて心の満足が大切です。

 もちろんお店にはマニュアルがあります。でも、マニュアルは最低限これだけはやってくださいという企業のボーダーラインです。もちろんそのラインを日々上げていく努力を重ねていきますが、そのモノサシで「出来ている、出来ていない」で評価や指導をしていけば従業員やアルバイトの皆さんは“働くという目的”を見失ってしまいます。

 お客様との会話やお客様との感動の共有はこの“働くという目的”を理解しなければ「本音の部分の接客」は出来ません。

“働く”ということをただ、お金のためとか生活のためとかで多くの時間を費やするのは寂しくありませんか、折角もらった人生の大切な時間、その時間を費やしているのですから“誰かのために”働けるような有意義な時間を過し、“ありがとう”そう言っていただき、その言葉に“あ~よかった”と素直に思えるような、そんな至高体験を積み重ねていく事こそが、早く自分の人生観を見つけられることですね。

 当社ではそんな想いを社員やアルバイトの皆さんが「シェアリングシート」を活用して情報の共有を図っています。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-27 00:01 | 日々想う事(感性を磨け)

沖縄県ひめゆり学徒

沖縄視察報告

沖縄県知事 仲井眞 弘多さんの一言を聞いて行ってみたくなった沖縄県、初めてではなく

自分にとって確かめたい事があったから・・・事実を知りたかった、事実を共有したかった。そんな思いで前回とは全く違ったフイルターで沖縄県を訪れました。

沖縄県の南、糸満市字伊原に設立された「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れました。今回のルートは伊原第三外科壕・糸数アブチラガマ・南風原陸軍病院二十号壕へと当時の戦火の中、刻々と変わる主戦場を逆ルートで回ってきました。

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「ひめゆり」の愛称で親しまれていた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校・学園が次第に軍事化され、軍は女子生徒を看護要員として訓練する方針を決し、1944年11月下旬から看護教育が開始されます。そして1945年3月23日、米軍が沖縄に上陸を開始した深夜、生徒222名、引率教師18名が南風原陸軍病院へと動員されていくのです。

戦火は悪化し沖縄守備軍が壊滅状態に陥り、6月18日ついに解散命令が発せられ、90日間という長い戦いの後に彼女らが待ち受けていたのは「死の彷徨」と言われる行き場の無い局地でした。追い込まれた学徒は傷ついた学友を助けて歩いていく者、ガス弾攻撃を受けるも者、手榴弾を胸にあて爆発させる者、海岸で大波にのまれる者など行き場を失い、父母の名を呼びながら死んでいく生徒が続出していきます。教師12名、生徒123名が犠牲となりました。

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年頃のごく普通の明るい青春を夢見たひめゆり学徒。「戦争と教育」の中で軍国少女として教育されていく。それでも歌と笑いが耐えなかった乙女達。この壮絶な沖縄の戦いの現実を私たちは認識し、次世代の平和へ、未来へ語り合っていかなければ・・・・。

沖縄戦は一般市民を巻き込んだ、日本では未曾有の地上戦です。90日にわたる戦闘で沖縄県民の4人に1人が亡くなっています。沖縄での戦いでは両軍合わせて20万人、(日本側188136名、本土出身軍人65908名、沖縄県出身12228名)が亡くなりました。沖縄全県下の学徒のうち男子1489名、女子414名、教師103名、計2006名が戦場で尊い命を失っています。

「日本国を本土を守りたい」その純粋な気持ちで尊い命を、青春を投げ打って戦ってくれた沖縄県人の皆さん、その想いがあって今の平和な私たちが存在しているのではないでしょうか、マリンスポーツ、美ら海水族館、観光、スポーツとしてもとても美しい島です。

私も大好きな場所です。今回は島民の方にもお世話になりました。沢山のお話を聞く事ができました。涙で伝えられた事実も沢山ありました。重くそして大いなる責任と平和への義務を感じてきました。本当にありがとうございました。改めて御礼申し上げます。

                 参考著書:ひめゆり平和祈念資料館ガイドブック

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<視察された子供達の寄せ書き>
by dokyu-nakanishi | 2011-01-26 01:01 | 日々想う事(感性を磨け)

役員研修in沖縄

 東京研修に引き続き「役員研修in沖縄」に出かけてきました。その後すぐに東京出張がありたっと落ち着いた所です。来週は当社の経営戦略会議、他団体の総会へ向けての打ち合わせ、異業種交流会の総会準備と私が関連する4月新年度を迎える団体の打ち合わせが目白押しです。 

 丁度、2~3月に掛けて全ての議案を処理して4月への新年度計画が発表されます。これだけ時代の変化が複雑にそしてスピードが速くなると「昨年同様」なんて言ってられませんね。全てがリセットで新しく組み立てなければなりません。その合間を縫っての役員研修でした。沖縄・・・皆さんはどんなイメージを抱きますか?

 観光としての沖縄、マリンスポーツの沖縄、こんなイメージが強いと思います。私も沖縄といえばスカイブルーの海、東洋一の美ら海水族館、南国の美味しい食べ物、こんなイメージが強かったです。もちろんそれも沖縄の大きな魅力の一つですが、今回、私たちは「戦場としての沖縄」を体験してきました。

 第二次世界大戦末期、本土防衛の最大の拠点として沖縄決戦が行われ兵士、島民合わせて20万人強が戦死した沖縄。なぜそれほどまでに島民が犠牲になったのだろうか、日本国民を守るために戦った戦争なのに・・・米国や連合軍が島民を虐殺していったのだろうか、

 私たちは簡単に「戦いに巻き込まれた一般島民、その犠牲者」と思いがちです。でもその当時の沖縄戦を地元の人の話を聞きながら当時を辿っていくと自分の理解を超えた事実に突き当たってきます。

 「本土を守る。この沖縄が本土の人たちを守る、日本の勝利を導く」そう頑なに信じて身を投げ打って戦ってくれた、支援してくれた沖縄島民の功績があり、今の私たちの存在があると思うと、私たちは過去の功績にどの様に報いるべきか、そして未来の人たちのために今私たちは何をしなければならないのか、そんな事を気づかせてくれる研修でした。

 地域のボランティアで活躍されている皆さんともお会いしました。もっともっと多くの方とお話をする機会が欲しかったです。戦後60年、段々とその当時を語ってくれる人もすくなくなりました。もう一度機会を作ってゆっくりと当時の足跡を辿っていきたいと思っています。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-21 00:01 | 日々想う事(感性を磨け)

吉田松陰の続きです。

先週末にDVDが届きました。吉田松蔭が野山獄に居た時の物語です。どうしても観たかったので深夜眠い目を擦りながら見てました。でも途中から夢中になり泣かずにはいられない感動のないようでした。その思いからちょっとまた吉田松蔭に触れてみましょう。

今回は吉田松陰が安政3年(1856年)10月、病気保養を理由に野山獄から釈放され、実家の杉家に謹慎を命ぜられた松蔭が執筆した「人にあたふ二篇」の一文を紹介します。



天地の大徳、君父の至恩に報ずるに心を似てし、

恩に復するに身を似てす。

此の日再びしく難の生復びし難し。

此の事終えんずば、此の身息ず。

天地には大いなる徳があり、君父の深いめぐみには、まごころをもって全身を賭して報いるべきである。 今日という日はふたたびめぐってこず、この一生も二度とはこない。報恩のことなし終えなければこの身を終えることはできない。

と通訳されています。

安政2年に「野山獄文稿」を書き終え、安政3年の春から秋にかけて半年間に書かれた書「丙辰幽室文稿」野山獄にて多くの松陰の人生観・国家観はもちろん政治・教育・外交・哲学など各方面にわたる思想や、読書の態度、学問の方法など松陰の講孟余話、松下村塾の模様、その教育方法、当時の生活状況や、彼らが読書に沈潜する空気が伝わる文稿として知られています。松蔭が“志” を伝える詩歌の一つです。

「志を立てるには人と異なる事を恐れてはならない。世俗の意見に惑わされてもいけない死んだ後の業苦を思いわずらうな。また、目前の安楽は一時しのぎと知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちはどうかいたずらに時を過すことのないように・・・」

正しく今の時代背景を生きぬくバイブルです。今の時代通常の人たちが“見えている。聞こえている”世界を世俗とすれば、その世俗にそって物事を判断すれば「赤信号皆で渡れば怖くない」現象で大半の人々は同じ行動を取ります。見えている事への対応ですから同じくなるのは当然です。しかし、新しい成長とは世俗に隠れた伏流の中から生まれてきます。

そう、そこを見る訓練を積んだ人しか見れない世界です。私は「心眼」とも言っているのですが、心の目によって目に見えない真実を見抜く力です。今風に言うと“超能力”とでも言うのかもしれません。超能力と言ってしまうとオカルト的になってしまいますが、次の時代のキーワードを見る訓練を重ねると“今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえてくる”現象が生まれます。

その現象に対応した行動を取ると、多くは「人と異なる事」と言われます。そこには必ずキラーが発生します。(そんなの無理、それはだめと否定する人や友人)現状のコンフォートゾーンを維持しようとする人たちです。

世俗というモノサシで判断しているので仕方がないのですが・・・だからそのような方たちとは距離を置く事が大切だと私は思っています。見えないゾーンを見える人が多くなったとき「時流が変わった」と人は言います。

沢山のフイルターを持つ事それが“先見力”です。これからの時代の中で特に重要な能力でしょう。先週の東京研修もこのフイルターを高めに出かけています。“新規事業開発”には欠かせない業務です。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-13 01:01 | 日々想う事(感性を磨け)

東京研修

新規開発の情報収集と店舗視察に行ってきました。

今回はスタートが銀座4丁目「ざくろ」というシャブシャブのお店から始まり、イタリアンのお店が2店舗、喫茶店1店舗、日本初上陸というお店、居酒屋と多種にわたり視察してきました。

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こんな和牛のシャブシャブです。さすが銀座4丁目です。11人で視察に出かけたのでランチがあっという間に○十万円でした。(笑)最近のイタリアアンはカルボナーラーとピザを中心に試食です。どの店もとても美味しいです。やはりカルボナーラはシェフの熟練度が出てきますね。カルボナーラーの美味しい店は全てが美味しいです。

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これはちょっと変則「うどんのカルボナーラー」です。

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そしてピザはやはりマルゲリータ、チーズ、トマト、ナポリ生地の絶妙なマッチングです。他の物が混じらない分、焼き手のうまさと、バランスが大切です。

このマルゲリータは最高!。私が出会った中では3本の指に入ります。

今回も限界に挑戦です。お腹も一杯ですが、頭の中も新規業態開発で一杯です。

明日からは沖縄です。感性を高める研修に出かけてきます。

*今月は殆ど札幌に居る暇がありません。やばいです。でも仕事が忙しい事は最高!、仕事を通じて人生の目的を達成するのですから忙しい程、人生目的を明確にして歩んでいけますね。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-13 00:01 | 日々想う事(感性を磨け)

久々の更新に応援メールが沢山届きました。

サーバーの調子が悪く中々更新タイミングがとれません。ごめんなさい。久々に更新したら沢山の方からメールを頂きました。有難うございます。今、2月のセミナーの資料を作っています。時間がある時にコツコツと作ってノートに貯めておきます。まぁ私の知識の箪笥みたいなものです。

 その中から・・・吉田松陰の話を少ししましょう。

 1830年、長州藩士、杉百合之助の次男として生まれ、1859年安政の大獄により斬首刑に処され29歳の若さで生涯を終えた人物ですが私の大好きな歴史的人物です。

文之進の開いた私塾で学問に励み作間象山に師事し、日本全国を廻り多くの人と触れ合うことで見聞を広め松下村塾を開校、多くの維新志士を育成し明治維新の思想の原点でもあり長州藩躍進の原動力となった思想家であり教育者でもあります。

 私がこの人物を知ったのは“死生観”をどのような形で表す事ができれば社員が“人生の最後の瞬間に何を求めるのか、生きてきた痕跡を何に残すのか、そのために今をどのように生きなければならないのか、根源的な生き様に対する思考の扉をどのように開けるか、”その難問の答えを求めたときに出会った人物です。

 吉田松陰が書かれた「留魂録」に出会ったのは衝撃的でした。その現物を見に山口県萩市まで足を伸ばしました。松下村塾に訪れました。(松蔭そばも食べました・・余談です。)吉田松陰が学んだ場所、時空を越えてその空間を共有したい。切実に想い行動しました。それほどまでに私を掻き立てた「留魂録」は、吉田松陰が処刑される直前に松下村塾門下生たちに向けて書いた遺言書です。その名の通り「魂の遺書」。牢獄の中から、愛弟子たちへ切々と最後の訓戒を訴え、また、死に直面した松陰が悟り得た死生観を書き記したその内容は、格調高く、人間としての矜持に満ちており、読む者の胸を打たずにおかない内容です。正しく死生観を論じた書です。

 事実、「留魂録」は、それを読んだ長州藩志士達のバイブルとなり、「松陰の死」自体とともに、明治維新へと突き進む原動力の一つとなりました。松陰が、明治維新の事実上の精神的理論者とされる由縁なのです。

 この「留魂録」についても私が経営や人生の英知となる様に解釈したものは、今後お伝えしていきますが、今回は「至誠にして動かざるは未だ之あらざる也」ではじまる「至誠の修行」という松蔭が処刑される年(安政6年・1859年)に書かれたものを紹介します。

 【至誠の修行】

 至誠にして動かざるは未だ之あらざる也。

 この語高大無辺な聖訓なれど、

 吾未だ之を信ずる能わざる也。

 この度この語の修行 仕る積也。

 この事別に一書を作るなれども暇はなくは

 子遠和作へ御通じ下さる可く候。

 門下の志士、小田村伊之助に送った書の一文です。この手紙の一文の後には余り紹介されていませんが「吾れ学問二十年、齢また而立なり、然れども未だこの一語を解する能はず。今茲に関左の行、願はくは身を似て之を験さん・・・・」と綴っています。

 もう一度この言葉について更に追求し、修行をするつもりでいる。と書かれています。この上もないまごころを尽くして動かし得ないものは、いまだかつてなかった。この言葉は果てしなく高く大きい聖人の教えではあるが、自分はいまだにこれを理解し信ずることができない。至誠を尽くせば自分の思いが届かぬはずはない、未だ修行が足りないのでは、再度身をもって修行にあたる。と通釈しています。

「経営も人生も全力を尽くせば必ず次の扉が開く、事に対して全力で取り組めば自分がやるべきこと、次なる全力を尽くすべき所が必ず見えてくる。それが見えてこないときは目の前の事に全力で当たっていない証拠である。再度身をもって全力であたるべし。次なる道が開ける」私は経営学の中で自分なりにこのように解釈をしています。

 経営とは命を懸けて行うもの、全ての感覚を研ぎ澄まし、全霊を尽くして事にあたるもの。その実践があって未来が存在する。いや自分が理想とする未来があるからこそそこに命を懸けた挑戦ができる。それゆえに全ての力を注ぐ(全力)ことが必要なのだと・・・

 そして、この事を門下生の「野村和作」に伝えてもらいたいと締めくくっています。

その後、松蔭は江戸の伝馬町で斬首刑になりますが、松下村塾の塾生であった野村和作は後に維新後の明治政府にて活躍し岩倉視一に随って欧米を視察し、内務大臣、逓信大臣を歴任し近代国家への布石を作っていきます。

 「留魂録」の一節に「私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なる籾殻なのか、成熟した栗の実なのかは私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになるであろう。同志諸君よ、このことをよく考えて欲しい。」と記されています。野村和作の活躍は松蔭の死後のことです。松蔭の教えは単なる籾殻なのか、成熟した栗の実となったのでしょうか、

 経営とは従業員の生きる道そのもの。しかし、自分の死後は知るすべはない。今、自分が抱く思想哲学(理念)は従業員にとって栗の実が宿る樹でなければならないと節に感じます。

 松蔭はこのような言葉を数多く残され門下生へとその思想を伝えていきました。この「至誠」を論じるとしたらまだまだ不足です。その奥深さが松蔭の魅力でもあるのです。私の大好きな歴史的人物です。松蔭の話をすると尽きる事はありません。

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応接室に掛けた掛軸です。萩に行った時に購入したものです。台紙は札幌で作成しました。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-06 02:01 | 日々想う事(感性を磨け)

謹賀新年

皆さん明けましておめでとうございます。

兎年です。「心しなやかに、心豊かに~」を目標に・・・

昨年は皆さんの数多くのご支援心より感謝します。

いよいよ2011年が幕開けです。今年も時代の本流はますます厳しさを増し、北海道経済の今年度の予測も相変わらず大変な環境が続くようです。

こんな時代だからこそ皆さんとの一体感をより強め、この難局を乗り越えていきたいと思いす。

 私は常に「何事も志(こころざし)を持って計画を立ててから事に当たるべきである。」と社員に伝えています。最近は時代の変化が早く、新しい知識や技術を習得し感性を磨き、自らの主体性を持って仕事に従事しなければ良い結果を生むことが出来なくなりました。目先の仕事や緊急な仕事で満足している方を多く見かけますが、環境の変化と共に自分自身が依存型から自立型へと変化し、時代に即した仕事が出来るよう進化していかなければなりません。

 進化とは学ぶという事です。人間の生き方には“唯識(唯一の心)”から生まれてくる積極的に生きる生き方があります。消極的な生き方には成長はありませんが、積極的に生きる生き方にはエネルギーが沸いてきます。この生き方、心の持ち方の違いがこれからの時代大きな差となって表れてきます。

 人間は自分1人で生きていくわけではありません。周りのおかげと周囲の人に支えられて積極的な人生が歩めるのです。だからそこに「感謝の気持ち」がとても大切なのです。

 そして、その基礎、根本になっているのが“唯識”なのです。“唯識とは仏教の言葉ですが、私はこの“唯識”を「唯一の自己の認識、つまり己の心が全ての始まり」と訳しています。

 昨年も萩を訪問しました。吉田松陰の「学とは人たる所以を学ぶべし」という言葉があります。人間とは何か、何を志すのか、どう在るべきなのか、という根源的なことを考えるという意味です(在る先生から何時も学んでいる内容です。)。これを仕事に置き換えると「仕事とは何が幸せなのかを学び、その幸せに向って努力をする。」という意味になります。混沌とした厳しい時代だからこそ、仕事も人生も何が幸せなのかを学ぶためにあると捉え努力、成長することが大切ではないでしょうか。「心しなやかに、心豊かに生きる」そんな志が2011年以降の考え方の本質になるような気がします。皆さんは元旦にどんな志をもたれましたか?
by dokyu-nakanishi | 2011-01-05 01:01 | 日々想う事(感性を磨け)

本社でのお出迎え

初仕事は1月4日からです。本社ではご挨拶にいらっしゃってくださいました。皆様をお迎えするために応接室を「お正月バージョン」に衣替えをしてお待ちしております。

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毎年ここで新年のご挨拶を交わします。

以前は車で来られた方は“昆布茶”同乗されてきた方は“お神酒”で祝っていたのですが、今年からは“甘酒のお神酒(ノンアルコール)”にしました。

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新潟老舗「三崎屋醸造」作られた甘酒です。米こうじとうるち米を原材料に無加糖で醸造されほのかな甘味が出ています。昨年神田明神前の天野屋の甘酒を知り、3度ほど立ち寄らせていただきました。この甘酒は生なのでお正月用に貯蔵は出来ないのでこの「三崎屋」の甘酒を皆様にご提供させていただきました。とても美味しい甘酒です。

もうひとつ、正月にはつき物の「紅白餅」を皆さんにお持ち帰りいただいております。

今年はちょっとバージョンアップでお酒と福袋をご用意させていただきました。

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この紅白餅は大変人気でお餅も柔らかくあんこがたっぷりです。みんさん是非、お越し下さい。

5日までご用意させていただいております。福袋には沢山の「福」を詰め込みました。

今年も皆さんと一緒に「福」を呼び込みましょう。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-05 01:01 | 日々想う事(感性を磨け)


中西 泰司
(なかにし たいじ)

株式会社どうきゆう社長。自転車レースチームの総監督でもある。

実践で培った経営・人材セミナーは社の内外を問わず人気。


by dokyu-nakanishi

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