吉田松陰の続きです。

先週末にDVDが届きました。吉田松蔭が野山獄に居た時の物語です。どうしても観たかったので深夜眠い目を擦りながら見てました。でも途中から夢中になり泣かずにはいられない感動のないようでした。その思いからちょっとまた吉田松蔭に触れてみましょう。

今回は吉田松陰が安政3年(1856年)10月、病気保養を理由に野山獄から釈放され、実家の杉家に謹慎を命ぜられた松蔭が執筆した「人にあたふ二篇」の一文を紹介します。



天地の大徳、君父の至恩に報ずるに心を似てし、

恩に復するに身を似てす。

此の日再びしく難の生復びし難し。

此の事終えんずば、此の身息ず。

天地には大いなる徳があり、君父の深いめぐみには、まごころをもって全身を賭して報いるべきである。 今日という日はふたたびめぐってこず、この一生も二度とはこない。報恩のことなし終えなければこの身を終えることはできない。

と通訳されています。

安政2年に「野山獄文稿」を書き終え、安政3年の春から秋にかけて半年間に書かれた書「丙辰幽室文稿」野山獄にて多くの松陰の人生観・国家観はもちろん政治・教育・外交・哲学など各方面にわたる思想や、読書の態度、学問の方法など松陰の講孟余話、松下村塾の模様、その教育方法、当時の生活状況や、彼らが読書に沈潜する空気が伝わる文稿として知られています。松蔭が“志” を伝える詩歌の一つです。

「志を立てるには人と異なる事を恐れてはならない。世俗の意見に惑わされてもいけない死んだ後の業苦を思いわずらうな。また、目前の安楽は一時しのぎと知れ。百年の時は一瞬にすぎない。君たちはどうかいたずらに時を過すことのないように・・・」

正しく今の時代背景を生きぬくバイブルです。今の時代通常の人たちが“見えている。聞こえている”世界を世俗とすれば、その世俗にそって物事を判断すれば「赤信号皆で渡れば怖くない」現象で大半の人々は同じ行動を取ります。見えている事への対応ですから同じくなるのは当然です。しかし、新しい成長とは世俗に隠れた伏流の中から生まれてきます。

そう、そこを見る訓練を積んだ人しか見れない世界です。私は「心眼」とも言っているのですが、心の目によって目に見えない真実を見抜く力です。今風に言うと“超能力”とでも言うのかもしれません。超能力と言ってしまうとオカルト的になってしまいますが、次の時代のキーワードを見る訓練を重ねると“今まで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえてくる”現象が生まれます。

その現象に対応した行動を取ると、多くは「人と異なる事」と言われます。そこには必ずキラーが発生します。(そんなの無理、それはだめと否定する人や友人)現状のコンフォートゾーンを維持しようとする人たちです。

世俗というモノサシで判断しているので仕方がないのですが・・・だからそのような方たちとは距離を置く事が大切だと私は思っています。見えないゾーンを見える人が多くなったとき「時流が変わった」と人は言います。

沢山のフイルターを持つ事それが“先見力”です。これからの時代の中で特に重要な能力でしょう。先週の東京研修もこのフイルターを高めに出かけています。“新規事業開発”には欠かせない業務です。
by dokyu-nakanishi | 2011-01-13 01:01 | 日々想う事(感性を磨け)


中西 泰司
(なかにし たいじ)

株式会社どうきゆう社長。自転車レースチームの総監督でもある。

実践で培った経営・人材セミナーは社の内外を問わず人気。


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